立教大学の幹事にて実施。ここ数年、6大学の現役応援リーダーによる各校の校歌、応援歌が披露されていたが、バックの音楽はCDを使っており、若干物足りないものがあった。
今回は幹事校の計らいで現役応援部のブラスバンドを招聘、生演奏が実現した。生はやっぱり迫力がぜんぜん違う。力強いサウンドと各校のチアリーダーによる華やかなステージはいやがうえにも盛り上がり、肩を組んで校歌を歌い、懐かしい青春の1ページに思いを馳せた。
早稲田からは41名が参加し各校校友との親睦を深めた。
次の早稲田スポーツを担う学生を、支部が激励して東京へ送り出そうと、平成の初め頃から実施。20年度は支部で4名把握し、父兄または教員同伴で招待した。
杉木支部長の挨拶のあと、記念品として早稲田腕時計を贈呈。学生から意気込みや抱負などを述べてもらった。一方、校友からは学生時代の思い出などを交えながら学生生活の心構えなどが語られ、最後は全員で校歌を斉唱。彼らがこれからの人生で何百回と歌うであろう校歌の歌い初めとなった。
入学予定者4名 | ||
田多 里絵子 | 泊高校 | アーチェリー |
片山 佳菜 | 高岡西高校 | バドミントン |
石尾 圭佑 | 石動高校 | ホッケー |
高城 千佳 | 石動高校 | ホッケー |
毎年4月富山市で行われる「全日本チンドンコンクール」。昭和20年の富山大空襲で壊滅状態となった富山の人々に明るさを取り戻そうと富山商工会議所と富山市が始めたもので、全国のチンドンマンたちが集い腕を競う。
このコンクールに母校の学生サークル「早稲田ちんどん研究会」が平成13年から毎年参加。地元校友会としてぜひとも彼らを激励しようと、今年から歓迎会を始めた。
コンクール終了後そのままの衣装で、チンドン太鼓やクラリネットなど楽器持参で会場に駆けつけてもらった。
富山市議会議員の宮前宏司(昭和55年卒)の司会のもと和やかに行われ、学生はチンドンの楽器による応援歌「紺碧の空」などを披露した。最後はもちろん「校歌」。これもチンドンのカネ、太鼓で一同斉唱。普段とは全く違った新鮮な気持ちで校歌を歌い上げた。
快晴のもと、県内在住の6大学OBが日頃の腕を競った。昭和56年に早稲田大学の提唱で始まり、今回で28回目。
ゴルフ帽に変わってこの日ばかりは角帽をかぶってプレーする本学OBもいるなど、大学の名誉をかけて火花を散らした。
本学からは20名が参加。荒田健哲(平9年卒)などの活躍で5年ぶりの団体優勝を果たし、優勝校のみに許される校歌斉唱で「都の西北」を声高らかに謳いあげた。
上位7名ネットスコア合計503.4ストローク
魚津に洗足学園短期大学があった頃、慶応義塾大学出身の池田弥三郎教授が提唱して始まった女子学生の軟式野球全国大会。わが母校からも参加。当初はやっとチームが作れるほどの部員数であったが、ここ数年は部員数も急増。成績も部員数に比例して上昇している。
今年も監督以下28名が来富。すでに恒例となりお互いに顔なじみになっているので会話もなごやかにはずんだ。さらに例年どおりかくし芸の交歓。学生は例年のごとく歌って踊っての楽しいステージ。校友からはお返しに相撲甚句などが披露され和気あいあいのうちに幕を閉じた。
最後は校歌斉唱となったわけだが、最近は校歌をきちんと歌えない学生もいて、先輩たちが手本を示した。このように年上の先輩、しかも地方のOBが現役学生に校歌指導するなどというのは、わが早稲田大学ならでは光景であろう。この伝統を継承していきたい。
さて本戦。初戦は桜花学園に大勝。2回戦では三重の皇学館大学と対戦し、手に汗を握る接戦を繰り広げた。途中までリードしていたものの最終回に追いつかれ、さらに2アウト2塁の一打サヨナラ負けのピンチ。ピッチャーの渾身のストレートをとらえたボールはセンターへ一直線。打球はぐんぐん伸び、センターオーバーのサヨナラ負けを覚悟したが、キャプテン藤ヶ崎(一文3年、千葉県立佐倉高校出身)が懸命に背走、奇跡的にグラブの先に白球がかろうじてひっかかった。神様は皇学館ではなく本学に味方した。こうなると流れはこちらのもの。延長にもつれ込み、最後は審判まで味方につけて12対6で勝利。準々決勝へと駒をすすめた。
そのあと体育系大学2校を破って見事銅メダルを獲得。見事な成績を収めた。
次の目標は7連覇中の日本体育大学を破っての日本一である。
団体戦は上位7人のネットトータルで争い、早528、慶535で早稲田が8連勝。通算成績は早稲田の23勝12敗となった。個人戦は畠山靖雄(昭54年卒)の4位が最高。表彰式では早慶戦野球の今昔などに話がはずみ、和気あいあいのなか懇親を深めた。
本学は精鋭4人の1チームが出場。健闘空しく団体戦・個人戦とも入賞はならなかった。
早稲田ちんどん研究会の学生7人を招聘。7人乗りレンタカーでアルペンスタジアムに駆けつけた。
熱心な地元ファンとともに小雨の肌寒い中応援した甲斐があり、この試合で富山サンダーバーズは優勝を決めた。
翌日は高岡の城光寺球場。昨夜とはうって変わって快晴。大勢のファンが駆けつけた。試合前にはスタンド入り口で得意のパフォーマンスで観客を出迎えた。
7回裏からは地元の「雷鳥応援団」とコラボ。ちんどんが応援すると必ず得点が入りスタンドは大盛り上がり。異様な雰囲気に包まれた。
試合は13対0で信濃グランセローズに圧勝。永森球団社長(昭和53年理工)も大喜びだった。
費用は全て校友からのカンパでまかなった。皆様ありがとうございました。この場をかりて御礼申し上げます。
大学より田山副総長、福田校友会代表幹事、藤井校友課長、伊藤・横山両地域コーディネーターを来賓に迎え開催。杉木支部長の挨拶の後、牛塚松男(昭和49年文)司会のもと、諸議案を可決。続いて来賓の方々からご挨拶をいただいた。125周年記念式典の裏話、校歌に対する思い入れ、校友会の現状と将来などを語っていただいた。
引き続き行われた懇親会では、プロ野球BCリーグ優勝の富山サンダーバーズ球団社長永森茂(昭和53年理工)発声による乾杯のあと、多賀正夫(昭和41年理工)率いるハワイアンバンドPalm Breezeによる演奏とフラダンスを楽しんだ。
世代を超えた歓談の後、初参加の校友が登壇しスピーチ。吉田亜輝男(昭和42年法・応援部)
のリードで、声高らかに校歌斉唱。興奮冷めやらぬ中散会した。